【分析】学校では教わらない自分の信じ方2
どうも、RIMです。寒いですねぇ。皆さん風邪ひいてないですか?
私は10月に一度ひきましたが。
さてさて、前回は自信と自尊心について、書きました。
では、今回は『なぜ自分が嫌だと感じるか?』という部分に焦点を当てて考えてみましょう。
なぜ、自分が嫌だと感じるのだと思いますか?
それは、本当に自分が考えて出てきた問題だと思いますか?
誰かに言われた言葉、もしくは誰かにそう思われていそうだ、という不安ではないですか?
謙遜から出た言葉だとしても、それを続けていると、言葉に出している通りの気持ちになることもあります。
自分のことは、自分自身が一番盲目といいます。
私の場合は、家族や学校でダメ出しばかりされて育ち、そして自分を能力の低い人間だと思い込んでいました。
端的に言うと、テストの点数が低かったのですが、それだけで全ての能力は測れません。
睡眠不足ひとつとっても、テストの点数なんて変わってしまうのですから。
では、能力が低い、「能力」って一体何でしょう?
「どうして出来ないの?」
どうして指摘の内容や注意点もなく出来るように育つと思うのでしょう?
「なんで言うこと聞けないの?」
それを言っただけで解決策も提示せず、言うことを聞ける人間になると思いますか?
苦しめてくる言葉は、いつも曖昧な言葉です。
曖昧だからこそ、理解が出来なく、繰り返します。
話し合いのない一方的な指摘では、相手が理解しているのかもわからないままです。
それは果たして、こちら側が責められるべき事柄なのでしょうか?
怒られるということは、必ずしも悪い事をした場合だけとは限りません。
明らかな悪事を働いた場合を除き、怒る側にも叱られる側にも、どちらにも問題点があると、私は考えます。
人間自身の価値は対等であり、一方的な主張だけを聞かされることは対等な扱いではないと考えます。
それがベースにあった上で上下関係を当てはめなければ、その組織は崩壊しやすくもなります。
いい上司、先輩などは、ちゃんとその人自身の意見を尊重し、その上で指示をくれますね。
どちらも意見しやすい環境というのは、居心地の良い空間ができ、信頼関係も築きやすいです。
なので、100%自分が悪いのだと背負う必要は無くなります。
子供の頃なら尚更、間違えることは当たり前であり、それを説明して自分で気付かせることが、大人の役目でしょう。
ただ、無意識にまで植え付けられた考え方を修正していくのは、時間のかかることです。
考え方に慣れる所から始めなければいけません。
そこでまずはひとつ、最初はこれだけでも意識してみてください。
それは『客観視』です。
言われた言葉に傷つきそうになった時、それがもし自分じゃなくて他人が言われていたら?
その相手に、自分はなんと思うでしょうか?
どんな言葉をかけたいと思うでしょうか?
他人の視点として考え、その言葉を自分へかけてみると、必要以上に自分を責めなくなり、感情に呑まれることなく状況把握が出来ます。
冷静になれます。
最初は不安かもしれませんが、考え方に慣れると自分の責任がどれくらいあるのか、解決策や工夫の仕方など、考える余裕が出来ます。
この考え方は、自分が加害を加えてしまった場合の判断にも応用出来ます。
どの割合で自分が悪かったのか、自分へも相手へも、どう言葉をかけるべきなのか?
年齢も世代も関係なく、応用出来ます。
まずは『客観視』を試してみてください。
今回のお話は
『なぜ自分が嫌だと感じるか?』
『その考え方に至った原因は?』
『その原因自体の問題点はあるか?』
そして『客観視』して、考え直してみてください。
アウトプットできましたか?
アウトプットは考え方に慣れてからでも大丈夫です。
最初はハードルを低めに設定する方が手に着けやすいので、まずは慣れるまで続けることが大事です。
最初は読むだけ、次に読んでから考えてみる、もっと時間がある時にアウトプットをする。
心の余裕に合わせて、段階を変えてください。
そして時間が経ったら、以前考えた問題をもう一度今の自分として考えてみると、一度目と二度目で考え方も変わり、成長を感じられることでしょう。
今の自分と比べる対象は、自分の過去です。
他人と自分の進める速度は皆違います。
他人との比較が足枷になり、嫌になったり、成長していても実感が出来ないことがあります。
なので、出来るだけ過去の自分と比べる癖を付けてみてください。
よろしければ頭を使った気晴らしに【実況シリーズ】でもどうでしょう?
こちらもよろしくお願いします!
次回は自信の正体について考えてみましょう。
ではでは、また次回!
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